祈り、といっても漠然としていてどうしても感覚がつかめませんでした。
家族であったり友人であったりはたまた会社のひとだったり
人は社会で暮らしているから「だれか」とのつながりなくしては
生きていけない。
ある時期から自分に起こった変化に伴い、それまでの
人間関係のバランスが急激に崩れ、悩んだ時期がありました。
悩んだというより「???」「わけがわからない」という状態が続いていました。
でも自分に正直になるしかなかった。
相手に対して想いを馳せると
嫌われたのかな、とか なにかしたかな、なんとかうまくいかないだろうかって
結果ばかりに意識が集中してしまいました。
それに気づきつつも、それ以上はどうすることもできなかったから
ただ、時にゆだねて、わきあがってくるおもいを見つめて、しがみつかず流すしかなかった。
元気でいてね、と愛を送っていればいつかは届くはず、そんな風に思っていました。
それは今思うと、漠然としていた祈りでした。
目に見える、物質としての存在に執着していただけの祈り・・・
ふとつかんだ感覚。
自分をおもう(祈る)ように他をおもう(祈る)。
この方向転換が鍵でした。
自分もそうであるように、みんながそれぞれのカリキュラムを持って
この地球に生命として宿っています。
そのカリキュラムがどうかうまくすすみますように。
そう祈るようにしています。
本当に、生命として、できることはこれだけです。